エンジニアには 5年病 というものがあるそうです。
5年病の症状
新しい概念や手法を吸収しなくなる。
何をやっても大して効果はないと思い始める。
かといって、目標に向かって寸暇を惜しむ体でもない。
RSSは欠かさず眺めて、それっぽいことをツイートするのが趣味になる。
「自分はエンジニアだから~」というのを思考の枠にしてしまう。
手を動かすことを惜しみ始める。
「多分できる」と「できた」を混同する。
一度失敗しただけでスネてやらなくなる。
自分よりキャリアの無い人にエラそうな口を利きたがる。
不摂生と運動不足で体が劣化する。
Reblogged from 編集長::komatak
数年前にはそんな事はなかったけど、今はもう、我々は自分の頭の切り替えの速度や、細切れの余暇に瞬間的に追従できない道具に苛立ちを感じるようになってきているのではないか、という気がします。
 昔だったら、ゲームをしたいと思っても細切れの余暇では何もできず、ゲームをしたいという欲求は蓄積されて『面倒だ』という障壁を越えて据え置き機を起動するレベルに達していましたが、今は細切れの余暇に携帯やiPhoneやDSiやPSPを起動して欲求が満たされてしまうので、それに匹敵するくらい素早く簡単に遊べるようにしない限り据え置き機に未来はないです。ただでさえテレビの前に座らなければならないというハンデがあるのに。ぼえ~んぼえ~んいいながらメーカーロゴなんて表示してる場合じゃないですよ。
Reblogged from SYM MCSG
「Web の革命は複利でやってくる」(注3)というようなフレーズが印象に残っているのですが,おっしゃるように,今は革命が透明化してると思うんです。Googleが何かをやると,地球のどこかで何万人という人が職を失う。そういう暴力的革命が世界中で起こっているのにもかかわらず,実際に人が死んだり倒れたりということはあまりない。そして,そういう現象がカオティックに(数学的なモデル化ができない複雑な連鎖の中で)起こるから,北米で起こったことが北米でなくまったく違うところに波及する。ドミノの倒れ方が見えない。そこで起こっている創造的破壊というべき変革が透明化しちゃてる。不可視になっていて,あまりにも凄い速度でしかも物理的現象を伴わない形で進行しているんで,革命的状況が見えない。
昔あるところに旅をしている僧侶がいた。
ある日僧侶が道を歩いていると、雀が蛇に捕らえられている。
雀が涙を流しながら僧侶に命乞いをするので、
僧侶は雀を不憫に思い、蛇に語りかけた。
「その雀はまだ若い。私の腕の肉と交換に助けてやってくれないか」
すると蛇は不思議な天秤を持ち出すとこう言った。
「これは命の重さを量る不思議な天秤だ。
 この雀と釣り合うだけの肉を差し出せば雀を助けてやろう」
僧侶は少し訝しげに思ったが、涙する雀を見てその交渉を呑むことにした。

僧侶はまず腕の肉を少し削ぎ落とし、天秤の反対側に載せた。
肉は雀と同じくらいの大きさだが、天秤はピクリとも動かない。
更に肉を削ぎ落とし載せたが、やはり天秤はびくともしない。
次々と肉を削ぎ落とし、とうとう片腕を失ってしまった僧侶だが、
やはり天秤は一向に動く気配を見せなかった。
業を煮やした僧侶が自ら天秤に乗ると、ようやく天秤は釣り合ったという。
たまげた僧侶を尻目に、蛇は不適な笑みを浮かべて曰く、
「どうだ坊主。この雀の命は、腕の肉切れ一片で足りるとでも思ったか。
 己の命も犠牲に出来ぬ分際で命を助けるようなぞ高尚なことをほざきおって、
 おこがましくも哀れで愚かな人間らしいことよ」

呆然とする僧侶を横目に、蛇は雀と僧侶の腕を丸呑みし、どこかへ去っていった。
Reblogged from Masaka's Tumblog
発想にいきづまると、海辺や川に釣り糸を垂れに行く。波や風や光からアイデアが釣れるからだ
こだわっているのは、Chromeではなく、コンテンツを中心にすること。ウェブアプリを中心にしたいと考えています。ユーザは自分のコンピュータを気にしませんし、その必要はないと思います。Chromeを「ゼロ」にそぎ落とすこと。これは僕らにとって大きな挑戦でもありますし、多くのことを教えてくれてもいます。よりシンプルでハイパフォーマンスに向かっているのです。

iPadのどこにぼくはこんなに毎日ブログ書くほど惹きつけられているのか、喜びまくっているのか。それは、美しいからだ。端末として美しい。だから、その中で表示される世界も美しくなければ許されない感じがある。美しくないとがっかりさせられる。

ここで言う”美しい”にはいろんな形容詞が入ると思ってほしい。かわいいとか、カッコいいとか、ステキだとか、いろんな方向からの美しさ。それがiPadには必要なんだと。

本を買っても、それはいわば頭金を払っただけ。「自分の時間」という最も高価なローンの支払いは済んでない。本棚に並んでいる未読の蔵書は財産ではない。「読書時間という未払いが残ってる負債」だ。「この本まだ読んでない」という後ろめたさ自体も負債なのだ。

良寛「丁度よい」


お前はお前でちょうどよい。

顔も体も名前も姓も、お前は

それは丁度よい。

貧も富も親も子も息子の

嫁もその孫も、それはお前に丁度

よい。幸も不幸も喜びも、

悲しみさえも丁度よい。

歩いたお前の人生は悪くも

なければ良くもない、

お前にとって丁度よい。

地獄へいこうと極楽へいこうと

いったところが丁度よい。

うぬぼれる要もなく卑下する

要もなく上もなければ下もない

死ぬ日月さえも丁度よい。

お前はそれは丁度よい。

丁度よい (via yellowblog) (via dukkha) (via katsuma) (via miewnyao) (via kondot) (via masaka)
Reblogged from Masaka's Tumblog
「どのような人間でも近づけば小さくなる」 自分が小さく見える人は、自分をよく知りすぎている
バイオリニスト、五嶋みどりの母、節はいう。
「アメリカは、カーネギーホールはじめ主要なホールのスタインウェイピアノの基準音は皆、442ヘルツです。もし440ヘルツで絶対音感のついた日本の子どもたちがアメリカに来たらどうなるのでしょう」
ー中略ー
オーディションを受ける一週間前のこと。どうも、みどりの様子がおかしい。
「なんか気持ち悪いというのです。自分の音階がピアノに合わない。初めはよくわからなかったのですが、聞けば、オーケストラの基準音が442ヘルツだというのです。みどりは440ヘルツのピアノで絶対音感がついてましたから、最初のA音をなんとか442ヘルツには合わせられても、音階をつくるとずれて聞こえて気持ち悪いようなのです。ショックでした、ものすごく……。しかたがありませんから、本番までの一週間、442ヘルツで必死に音階練習をさせました。でもそのとき、ああーしまった、間違った、と愕然としたのです」
— 最相葉月『絶対音感』p.205 (via nozma-books) (via nozma) (via shigesa) (via kml) (via jacony) (via bjzjbs) (via opus77)
Reblogged from OPUS77 Scramble
一、先に素材を用意しろ
一、見た目から入れ
一、考えてないで書け
一、フェイルセーフは二の次
一、高速化は二の次
一、エンドユーザはどうせ結果しか見ない
一、無駄な機能は全て外せ
一、付けたくない機能はやる気が伴わないのでバグを生む
一、コードを書かない人間の話を聞きすぎるな
Reblogged from SYM MCSG
恥をかくってことはさ、恥ずかしい生き方じゃないんだよ。
— 甲本ヒロト (via alarchy) (via syutarm) (via handa)
2008-03-13 (via gkojay)
Reblogged from SYM MCSG
今や多くのグラフィック・デザイナーたちが、ほぼすべての時間をコマーシャル制作に注ぎ込むまでに成り下がってしまった。それにつれて、人々はデザインというものを、コマーシャルとしてしか感じなくなった。デザイナーたちのプロとしての時間とエネルギーが、本来生活に必要とされていないものの需要を生み出すために、消耗されているのである。
Reblogged from SYM MCSG
今のコンピュータって進めば進むほど人間に優しくなくなってくるよね、ってふうに考えます。インターフェイスっていうのはキーボードとかマウスとか画面とか、人間に触れている部分すべてなんだけれど。いいインターフェイスっていうのは、大抵コンピュータにとっては苦痛なんで、いかにコンピュータをいじめるという方向で考えるのが、いいインターフェイスです。

悪いインターフェイスっていうのは逆にコンピュータに媚びていて、コンピュータはこれこれしかできないんですよっていうアラートメッセージなんかが出てくると、大抵悪いインターフェイスになる。まぁ、そういう関係になっている。悪いインターフェイスっていうのはほんと世の中にいっぱいある。最初パソコン使い始めたときに、なんでこんなに使いにくいんだ?って思っていても、だんだん慣れてくると、人間慣れちゃうんですよ。そっちがいいと思っちゃう。これがインターフェイスの怖いところで、そうすると悪いインターフェイスが、いつの間にかいいインターフェイスってことになっちゃって。新しい本当に画期的なものが出てきたときに「こんなん使いにくい!」って話によくなりがちなんです。ウインドウズとかそう。うん。でも、慣れっていうものも組みこんで、インターフェイス設計者は考えなきゃいけなくて。本当は悪いインターフェイスなんだけど、それがいいと思って使い込んでいる人がいっぱいいる。でもそれはやっぱりいいインターフェイスなんじゃないかって結論もある。微妙なところだよね。まあ、そういう考え方をするんです。コンピュータの学者の中にもこういうこと考えてる人がいるんだよっていうこと。僕はそれが面白いと思っている。
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